祭りの日程については波切自治会へお問い合わせ下さい。
尚、ホームページの詳細については自治会・神社ではお答えできません。下記のアドレスにメールをお願いします。 尚、フリーメール、住所、氏名、電話番号などが未記入の匿名のメールは受け付けられませんので、ご注意ください。 |
大わらじは漁業関係者、その他有志が集まり、作成します。
草鞋の大きさは縦2m余り、横1m余りの大きさです。
大縄の製作1わらじに編みこむための荒縄を作ります。 杵で藁をたたき、柔らかくします。 藁の総量は2トントラック1杯分。 全てが使えるわけではなく、編みにくい部分などはカットされます。 |
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大縄の製作2数人掛かりで作成していきます。 結構荒っぽく撚ります。 縄の数は大縄で凡そ10本程度。鼻緒用が3本。細縄が数本。 |
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骨組みの製作細い竹を麻紐で縛りながら組み上げます。 この時は、まだ小さめに見えます。 |
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鼻緒の作成中ぐらいの太さの荒縄にさらしを巻いていきます。 3本作り。後で1本にさらに撚ります。 |
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編みこみわらじの骨組みに荒縄を編みこんでいきます 凡そ、2時間から3時間の作業です。 |
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完成鼻緒を通し。完成です。 よく、報道関係者に前後はどちらと聞かれますが、鼻緒の太い方が前です。 微妙に骨組みの段階で前後の幅にさが付けられています。幅の大きな方が前になります。 写真では奥が前になります。 |
日程 | 本祭の3日前 朝8:00頃から13:00頃まで 雨天続行 |
場所 | 志摩市公民館(大王公民館) 例年の場合 近鉄鵜方駅より御座方面行バスで大王公民館前下車 |
駐車場の有無 | 大型バス不可 マイクロバス、乗用車のみ可 |
その昔は、草鞋ではなく、筵だったという説があります。草鞋の大きさも様々で、その時代により、藁が入手しにくい時など、大きさが変わってしまったようです。現在の大きさになったのはいつからかは、はっきりしません。1畳の大きさと言うのは江戸時代に再興された当時の物です。
わらじの重さは年ごとに大きく異なり、概ね100kg前後です。
藁が乾燥している年、藁の締め付けが強い年で重さがかなり異なります。4人の担ぎ手が悲鳴を上げるほど重い年もあります。海水につけてしまうと、150kg程度までぐぐっと重くなるようです。
身長と足の大きさの比を6.5程度と仮定すると、架空の大男の身長は草鞋の大きさが2.2m程度ですので14.3m程度の大男になります。ダンダラボッチ公園(大里)の足跡のレプリカが1m程度ですのでだんだらぼっちは6.5m程度の大きさとなります。今の草鞋の大きさは、大里の足跡に対しての大きさと言う事になります。だんだらぼっちが悪戯したのも、この大里の話で、他では島を作ったとか排せつ物が岩になったとか、波切の中や他の地域でも10m未満の大きさでは釣り合わない大きさとなっています。10mは10丈の間違いと言う話もありますので、10丈だと30m程度の大きさになります。
ダンダラボッチの大きさ | 行動 | ダンダラボッチの容姿 |
身長10m程度のダンダラボッチ | 里に出てきて悪さをした | 片目、片足の大男 |
身長30m以上のダンダラボッチ | 島や岩を作った | 両足、両目のある大男 |
この大わらじ、御神体と言われています。
稲の神様は祭神の國狭槌神と伊雑皇大神の2社になります。そしてその昔、この草鞋の稲藁を提供していたのが7本鮫の出発地の立神地区の方たち、エレワカを歌い送る人は7人のお婆さんとくれば、國狭槌神の化身で、伊雑皇大神の一柱、玉柱屋姫命(三穂津姫命)と言う事になります。7人のお婆さんは天白神の7人に当たり、別名一尋和邇。両手を伸ばした程度の大きさが本来の大きさですが、これはちょっと大きな鮫と言う意味で、もうひとつの別名、恵比寿鮫となると丁度2.2m程度の大きさになります。玉柱屋姫命の姉達と同じ大きさに化身するとすれば、丁度現在の大きさになります。